五条坂陶栄会
井原 道夫
 京都の製陶業は、江戸時代に入り特に東山山麓で発展を見せました。かつて東山山麓は良質の陶土が採れたため、多くの陶芸家が集まり五条坂の傾斜を利用した登り窯が多数築かれました。近世に入り東山では陶土は採れなくなりましたが、以降、東は信楽や瀬戸方面、西は有田方面から良質の陶土が運び込まれることとなります。登り窯も火災や煤の問題から市内では姿を消しましたが、技術改革された高性能の窯が登場し、職人が制作を続けています。
 また、古都・京都は公家が文化をけん引してきた地であり、焼物の一大消費地でした。文化人の要望に答えるべく、京都の陶工たちは各地の陶土を吟味し、配合し、さまざまな技法を取り入れ、新しい手法を生み出し、新しい器作りをしてきました。これが、清水焼の一番の特徴であると言えます。
 一つひとつ手作りだからこそ使い手のニーズに対応でき、職人たちもそのニーズに応えられる高い技術力を有しています。それぞれの窯元が、さまざまな手法を用いて古くからの伝統を大切にしながらも、使い手と共に常に新しいものを創造していくことを目指しています。
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